3月6日(水)は、茨城県立友部高等学校卒業式に続いて継承式を執り行いました。この場で、本校にとっても大切なことを公表しています。継承式での式辞から転載します。
茨城県立友部高等学校は、昭和53年4月に、学年6クラスの高等学校として開校しました。
当時の新設校にはよくあることですが、校舎は仮のもので、グランドも整備されておらず、生徒と教職員が一緒に砂運びをしたそうです。この体育館も完成したのは2年目であり、それまでは隣の格技場で代用していたそうです。それでも、「新しい学校をつくる」という生徒及び教職員の思いは強く、開校後に制定した校訓
「明日の社会を担う責任ある大人として 明るく 豊かに たくましく 前進しよう」にも、
その思いは反映されています。
県立学校の中で、こんなにも素直で、生徒及び教職員の思いが強く込められた校訓はないと思います。
それは、開校2年目に制定された校歌にも言えます。歌が素晴らしいのはもちろんですが、作詞をされた土谷紀行さん、作曲をされた群司保利さんが本校の第1期生で、制定当時は高校2年生だったことを知り、生徒と教職員が互いを信じ、一致団結して、日々の教育活動を行っていた様子が目に浮かびます。
県立学校の中で、生徒が応援歌を創った学校はありますが、生徒が校歌そのものをつくった学校はないと思います。
また、校章については、開校準備にあたっていた先生方が知恵を絞りました。あれこれ悩んだうえで、手元にある式次第にも書かれている通り、ここ宍戸の地に宍戸藩松平家の居城があったことから、三ツ葉葵をデザインした校章を考えたそうです。
全国を見ても、三ツ葉葵をベースに校章としている学校は非常に珍しいと思います。
さらに、本校の敷地はひいらぎの林を切り拓いてつくったもので、後ろには県立笠間自然公園が控え、近くにも白鳥の湖と北山公園があり、緑豊かな自然環境に恵まれています。
校長室からキツツキが木を啄む音が聞こえますし、駅から歩いて行ける距離に山と湖がある自然公園は他にないと聞いています。
この素晴らしい環境で、友部高等学校第44期生の皆さんは3年間学んできました。でも、先ほどの卒業式で、開校以来46年間の友部高等学校の歴史は閉じました。
しかし、その伝統は途切れることなく、4月で開校2年目となるIT未来高等学校が受け継ぎます。
さらに、友部高等学校の開校に向けて尽力された地域の皆さんの思い、第44期生の皆さんも含めて、同窓生の皆さんの母校に対する思い、生徒のために日々の教育活動に取り組んできた歴代の教職員の皆さんの思いを受け止め、友部高等学校の校歌及び校章を、IT未来高等学校の校歌及び校章として大切に守っていきます。
友部高等学校同窓生の皆さんには、引き続き、IT未来高等学校へのご支援とご協力をお願いし、継承式の挨拶とさせていただきます。